燃やし尽くす生命
燃やし尽くす生命 圧倒的な強さを持っていた。誰もが認める、王者の風格を持っていた。
だが、思惑と言う波に翻弄された。
それでも、最強と言う称号には、必ずその名が上がる。
彼の名は、ナリタブライアン
産まれた直後こそ、目立った存在ではなかった。どちらかと言えば、半兄にビワハヤヒデを持つと言うことの注目が強かったが、この頃は兄もまだ活躍しておらず、良い動きをする馬の一頭でしかなかった。
だが、初期調教の中で見せた身体能力に加え、抜群の心肺能力は才能の片鱗を感じさせた。それでも、水たまりに驚いて騎乗者を振り落すといった、臆病な一面も見せていた。
1993年5月、ナリタブライアンは大久保厩舎に入厩する。それと同時に、主戦騎手は南井騎手(現・調教師)に決定する。その南井が、ナリタブライアンに初めて乗った時に、その能力の高さをオグリキャップに匹敵すると称賛した。
1993年8月にデビューを迎えるが、初戦は2着。中一周で挑んだ2戦目で初勝利を挙げる。
その後も、やや詰まり気味のローテショーンでレースをこなし、早い段階でその能力を開花させていく。4戦目と6戦目では、素晴らしいタイムで勝利を収める。
12月、3歳チャンピオンを決める朝日杯で、堂々の一番人気に推される。
ビワハヤヒデの弟として注目を集め、自らの力で観衆を引き付けた彼は、レースでも堂々たる走りを披露する。
発走直後は中団あたりを進み、3コーナーから進出を開始。そこからはもう、彼の独壇場だった。
4コーナー過ぎで先頭を捉えると、後は同年代の馬たちを軽くあしらうかのように置き去りにして、先頭でゴールを駆け抜けた。
兄であるビワハヤヒデの雪辱を果たすとともに、自らの時代の幕開けを告げた。
この後の彼の活躍は、皆さんもご存じだろう。
レースごとに着差を広げて三冠を勝ち取り、その年の有馬記念にも勝利した。
誰もがナリタブライアンの時代がやってくる。そう思った……。
明けて5歳、阪神大賞典を圧倒的な内容で勝利した後、故障により戦線を離脱。それ以降、彼の王者としての走りは影を潜める。
勝てないレースが続き、内容も並みの馬と言われるようなものだった。
結局、彼らしい走りを見ることなく、屈腱炎を発症し引退した。
引退後、種牡馬となるが2世代を残し、胃破裂によってこの世を去った。
圧倒的な力を見せ付けた、圧倒的な存在感を見せつけた。
競馬雑誌『優駿』で彼の特集で『燃やし尽くす生命』という見出しは、彼の生き様を表す最高の言葉だと思った。
日本競馬史上最高傑作との声もある三冠馬。
その雄姿は、彼が地上を去った今でも、色褪せることは無い……。
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