黒船来航
黒船来航 その昔、日本を震え上がらせた軍艦があった。その威容は、日本を半ば強制的ではあるにせよ、新たな時代へと導いた。
競馬界にも、凄まじい衝撃を与えた一頭の馬がいた。
アメリカで育ち、海を越えてやってきたその馬は、それこそ日本の競走馬を震え上がらせる力を見せ付けた。
その馬の名は、クロフネ
芝、ダート共に活躍した。
特にダートでの走りは、日本のホースマン達に衝撃だけでなく、畏怖の念すら抱かせ、日本競馬史上最強のダートホースとまで呼ばれた。
アメリカで生まれたクロフネは、セリを経てノーザンファームへとやってくる。3歳を迎える年、日本ダービーが外国産馬にも開放される予定になっていたため、解放初年度に外国産馬で勝つ、その願いを込めてクロフネと命名された。
日本へ来たクロフネは、長い検疫のために体はすっかり痩せてしまい、牝馬のようであった。だが関係者は、この経験がクロフネを更に強くすると確信していた。
この読みは正しく、デビュー戦こそ負けたものの、その後2戦続けてのレコード勝ちをして見せた。
クラシックシーズン初戦、毎日杯を圧倒的な内容で勝利。そこからNHKマイルCへと進んだ。
ダービー出走条件は、トライアルでの優先出走権の獲得。そこで中距離レースではなくマイルレースを選んだのは、皐月賞馬アグネスタキオンを意識しての事だった。
同じG1の勲章を持ってダービーに挑む。その信念に基づいて。
レースは、ゴール前でグラスエイコウオーを捉え、半馬身差で勝利した。結果もさることながら、レース内容も素晴らしく、一気に主役候補に躍り出た。
だが、ダービーではハイペースや重馬場など、様々な要因が重なり5着と言う結果に終わった。
秋、長い距離は困難と判断した陣営は、菊花賞を諦め天皇賞秋へと照準を合わせる。
初戦、神戸新聞杯もスローペースに対応できずに3着と敗れるが、その中にも収穫はあり、手ごたえを感じていた。
だが天皇賞秋は、クロフネよりも獲得賞金上位のメイショウドトウ、アグネスデジタルの出走により、外国産馬枠が埋まってしまい、断念せざる負えなくなった。
陣営は秋のG1を諦め、年明けのフェブラリーステークスを目指す。そのために、ダートを走らせておこうとのことで、武蔵野ステークスへと駒を進める。
これが、クロフネの真の力を呼び覚ます事となった。
初のダートにもかかわらず、去年のジャパンカップダート優勝馬、イーグルカフェに9馬身をつける圧勝劇。
嬉しすぎる誤算に、陣営はすぐさまジャパンカップダートを次走に定めた。
ジャパンカップダート当日、アメリカから実力馬であるリドパレスが参戦していたものの、クロフネは一番人気となった。
レースは、クロフネの独壇場だった。
向こう正面から進出し、最終コーナーで先頭に立つと、そのまま後続を置き去りにしてトップでゴールを切った。着差は7馬身、レコードでの決着だった。
圧倒的すぎる内容に、陣営はドバイでの優勝カップすら見えていたとか……。
だが、それは突然だった。
休養に入っていたクロフネは、12月24日に右前脚に屈腱炎を発症。全治9か月の診断により、そのまま引退となった。
クロフネの走りは、本当に衝撃的だった。
力強いフットワーク、圧倒的なスピード……確かにそうなのだが、そのフォームはとても雄大で、ゆったりとした感じだった。動きだけ見ていると、そんなに速いようには見えない、不思議なものだった。
彼の与えたインパクトは本当に強烈で、『強さ』の究極系、その一つを見た気がした。
まさに黒船来航、それほどの衝撃だった……。
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