最後の女王
最後の女王 名門牧場、最後のG1勝利馬。受け継がれてきた歴史、それに恥じぬ走りを存分見せた牝馬。
彼女の名は、スイープトウショウ。
デビューから高評価を得て、それに答えるように勝利を重ねた。それでも、G1のタイトルまではなかなか届かず、初めての戴冠となったのが3歳の秋、秋華賞だった。
この勝利をきっかけに、更なる栄光を……だが、現実はそう甘くはなかった。同年代のみのレースが終わり、古馬勢との競馬となり、彼女の勝てない日々は続く。
彼女が再び勝利の栄冠に輝いたのは、春のグランプリ宝塚記念だった。
牝馬としては、1966年以来39年ぶりの快挙。そして、トウショウ牧場では、トウショウボーイ以来の宝塚記念制覇となった。
最高の形で締めくくった春シーズン。秋への希望は、とても大きく膨らんだ。
そして、彼女がその本領を発揮した。
そのレースこそ、前年に敗れたエリザベス女王杯。
レースは宣言通りオースミハルカがハナを切り、そのままグングンと後続を引き離す。5馬身ほどのリードでレースを引っ張る中、スイープトウショウは中団やや後方を進む。
大逃げのオースミハルカが先頭のまま、レースは大きな乱れもなく、最終コーナーから、最後の直線へと突入する。
先頭のオースミハルカが足を伸ばし、5馬身ほどのリードをキープ。そこに、アドマイヤグルーヴとスイープトウショウが迫る。
逃げるオースミハルカ。だが、スイープトウショウが驚異の末脚を繰り出し、ゴール前で先頭を交わし、ゴールを駆け抜けた。
上がり3ハロン33秒2という豪脚を見せ付けた彼女。奇しくも、これが彼女にとっても、牧場にとっても最後のG1制覇となった。
翌年は骨折で春を棒に振り、秋に京都大賞典を勝つだけにとどまった。
その次の年は、厩舎内で暴れて負傷したり、調教を嫌がるなどでまともなレースもローテーションも組めず、6歳のエリザベス女王杯を最後に引退をした。
元々出遅れ癖や、馬場入りを拒否する馬だった。調教などは、数十分立ち止まることも珍しくないなど、なかなかの癖馬だった。
それでも、レースとなれば驚異的な末脚を繰り出す馬だった。
故郷のトウショウ牧場が閉鎖となり、今はノーザンファームで過ごしている。
彼女は今、あの時の思い出をどう感じているのだろうか……。
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