逆境を超えて
逆境を超えて 見た目を覆した牝馬がいた。あまりにも小柄で、あまりにも貧弱に映ったその姿。それでも彼女は、驚異的な走りを見せた。
彼女の名は、トウメイ。
産まれてからすぐさま波乱の連続だった。
小柄ながら均整のとれた体つきをしていたが、次第に体の成長が止まってまう。結局、トウメイはただの小柄の馬となってしまい、後々までネズミのような馬と言われてしまう。
庭先取引でも買い手がつかず、セット販売を進めても断られる。なかなか買い手がつかないまま、セリ市でようやく値がついた。だが、希望価格より下回っていたために、生産者は連れて帰ろうとしたが、セリ市の関係者に説得され売却することになる。
しかし、彼女の受難は続く。
大井競馬場でデビュー予定だったが、受け入れ予定の調教師が急死してしまう。ここでも小柄な体が災いして、新たな受け入れ先が決まらなかった。結局、購入を進めた調教師が責任を取ると言う形で預かることになった。
半年後、トウメイの能力向上が見られないとし、育成費とお詫びを上澄みした300万で地方への移籍をさせようとするも、預かり先が見つからずに頓挫してしまう。八方塞となり、仕方なしに手元に置くことになった。
数々の受難と波乱の日々を過ごし、デビューを迎える。初戦こそ敗れたものの、二戦目に初勝利を挙げると、トウメイの評価は一変した。
競争成績も良い所を続け、3歳が開けるころには関西ナンバーワン牝馬とまで呼ばれるようになった。
クラッシックこそ勝てなかったものの、その後のトウメイは素晴らしい成績を上げ続けた。だが、ここでまた新たな試練が彼女に襲い掛かる。それは、裂蹄の一種である白腺裂を発症したこと。
復帰まで半年はかかると診断されたが、陣営は彼女の復活を信じて療養に出す。だが周囲の声は、あれだけの安馬がこれだけ稼いだんだからもういいだろうと、非常に冷ややかだった。
復帰後、彼女の運命を決定づけたのは阪急杯。出走した中で最も重い斤量59kgを背負った彼女だったが、見事に勝利をもぎ取る。
この勝利により、陣営が天皇賞秋への出走を決意した。
前哨戦も59kgのトップハンデをもろともせずに快勝。この時すでに『マイルの女王』と呼ばれていたトウメイが、3200mを走れるかに注目された。
菊花賞、日本ダービーのそれぞれ優勝馬が出走する中、トウメイは三番人気に押される。だが、今まで経験のない距離に加え、気性の荒さなどから、勝つのは難しいと思われた。
レース自体はスローな流れで進む。淀みなく流れ、最後の直線でのたたき合い。地獄の壁とまで呼ばれた東京競馬場の坂道、それを登り切ると同時にトウメは足を伸ばし、見事に先頭でゴールを駆け抜けた。
牝馬で、しかも今まで経験のない距離での戴冠。
小柄で華奢だったために、苦難を強いられてきた彼女が、眩しいほどの光を放った……そんな瞬間だった。
この後、同年の有馬記念も制覇した彼女は、その年で現役を引退する。
数年後、彼女の息子であるテンメイが、母と同じく天皇賞秋を勝ち、史上初の母子天皇賞制覇の快挙を達成する。
様々な経歴を持つ馬がいるが、これほどまでに波乱に満ちた馬はそうはいないだろう。産まれてからデビューまで、それこそ茨の道を歩かされてきた。それでも、彼女は輝く場所、輝く瞬間を手に入れた。
トウメイがどう感じ、どう思っていたのかはわからない。だが、諦めなければきっと道は開かれる、そう感じさせてくれる馬だと思う。
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