競馬界の初代ビッグ・ダディ
競馬界の初代ビッグ・ダディ 『豪』とつくと、それだけ優れていることを示す。もしくは、それだけ他を圧倒していると言うことを現す。
豪胆、豪脚、豪勇……などなど。
今回は、そんな『豪』のつく称号を持つ一頭の馬を紹介したい。とても偉大で、ちょっぴりエッチな馬。
その馬の名は、チャイナロック。
輸入されたとはいえ、日本を代表する偉大な種牡馬の一頭だ。
代表産駒にタケシバオー、ハイセイコーをはじめ、アカネテンリュウやメジロタイヨウなど、数多くのG1馬や重賞ウィナーを輩出している。中央競馬のリーディングサイアーになるなど、その活躍は目覚ましいものだった。
だが、この馬を語るうえで外せない事がある。それは、元祖ビッグ・ダディであると言うこと。たくさんの子供に恵まれ、たくさんの異性を相手にした。
つまり『性豪』なのだ。
彼が輸入されたのは1960年末。そこから13年間の種牡馬生活の中で、種付回数は通算で1330回。年間最大127頭、13年連続で50頭以上との種付をする馬だった。
チャイナロックの持つこの記録は、1990年代に入るまで破られることの無い記録だった。ちなみに、同じくらいの性豪だった馬は、近代競馬の大種牡馬サンデーサイレンス。この馬が輸入されるまで、チャイナロックと並ぶ種牡馬はいなかった。
人気があれば当然と言われるかもしれないが、彼の優れた点は、この時代において驚異的な受精能力を誇っていた。
獣医学がまだまだ未開拓と言ってもいい状態だった時代において、現代とそう変わらない受精率を誇っていたと言うのだから、驚きと言うより脅威だ。
何故、受精率が高い事がいいのか。それは、種付の時に支払う種付料と言う仕組みにある。種牡馬の種付料は、一度の種付ごとに支払うことになる。つまり、回数が増えれば増えるほど、支払額が増えることになる。だが、一回で受精すれば、支払う料金は一回で済む。このあたりも人気の秘密だったと言われている。
もう一つ、チャイナロックのすごい所がある。それは、当て馬を使わなかったということである。
当て馬と言うのは、種付前に牝馬を発情させる役目を持つ牡馬のこと。発情させた後は、本来の種牡馬が種付行為を行うと言うのが、一般的な流れになっている。
だが、チャイナロックはこの当て馬の役目も自分でこなし、さらに発情まで導くのが極めて上手かったそうだ。当時を知る関係者は、そのことを含めてチャイナロック以上の馬はいないとまで言ったそうだ。
29歳(旧馬齢表記で30歳)の年の瀬に老衰のために永眠するのだが、その年にも種付を行っていたというタフガイだった。
もちろん、このような異名も、産駒たちの活躍によるものではあるが、それでも彼自身の活躍も忘れてはならない。
競馬界の初代ビッグ・ダディ。
こんな種牡馬は、しばらく見れないだろう……。
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