一世一代
一世一代 一世一代、そんな言葉をよく聞く。この馬も、そんな飾り言葉がよく似合う馬なのかもしれない。
その名は、ウインクリューガー。
父に『世界のマイル王』と呼ばれた、タイキシャトルを持つ馬。
だからと言って、決して評価が高かったわけではない。ちなみに、セリ市で2700万で取引された。
競走馬としては、今一つ物足りない値段である。
2002年の秋にデビュー。
初戦を勝利で飾るが、その後は惨敗やら降着やらで良い所はなし。2勝目を挙げるのは、5戦目の条件戦だった。
しかし、彼の中に眠る『世界のマイル王』の血は、この勝利により覚醒した。
条件戦勝利後、G3レースのアーリントンカップを見事勝利で飾り、種牡馬入りした父に初の重賞タイトルを捧げる。
その後、距離延長した毎日杯では惨敗し、迎えたG1『NHKマイルC』
同年代の馬で競う、1600mのG1レース。
ウインクリューガーはこの時9番人気。ここまで安定しないレース内容だったためか、前評判は低く、期待もそこまでされていなかった。
レースは縦長の展開で進んだ。3角から進出をはじめ、4角で2位の位置からスパートを開始。
先頭の馬を残り200mで抜き去ると、追いすがるエイシンツルギザンを振り切り見事にG1レースを勝利で飾った。
同馬にとっても初タイトルだが、タイキシャトル産駒としても初のG1タイトルであった。さらに、鞍上の武幸四郎騎手も初のG1タイトルと、初物尽くしのレースとなった。
一世一代の大舞台で、その実力をいかんなく発揮したウインクリューガー。だが、彼にとってこの舞台こそが本当の意味で『一世一代』となってしまった。
NHKマイルC後、彼は勝てない馬へと変貌した。
距離短縮、地方競馬、ローテーション変更と様々な事を試したが、結果は全く出なかった。
そのうちに、障害馬の試験を合格し、障害レースで頑張ろうと思った矢先に、放牧先で腸ねん転を発症し、手術を受けて長期療養など、まさに波乱含みの人生を歩む。
復帰後も結果が出ず、障害レースに転向する。その未勝利戦で実に4年2か月ぶりの勝利をおさめたが、その後のレースで左前脚屈腱炎を発症し、そのまま引退となり、種牡馬となった。
栄誉あるG1馬となったが、その後の急落ぶりが逆に人気を煽ったと言う、何とも皮肉に満ちた競技人生だったウインクリューガー。
G1と言うビッグレースで、己のすべてを出し切った彼は、正に『一世一代』を地で良く存在だったのかもしれない。
自分の輝く場所、輝ける瞬間、そしてその時期を理解していた馬なのかもしれないと……彼の写真や、動画を見るたびに思いをはせてしまうが、必ず最後はクスリと、笑みがこぼれてしまう。
そんな不思議な愛嬌に満ちた馬なのは、確かだと思う。
页:
[1]