gegege88 发表于 2016-3-10 14:40

刺客と呼ばれた馬

刺客と呼ばれた馬 刺客……そう呼ばれた馬がいた。
 無敗のクラッシック三冠、天皇賞三連覇。その二つを見事に打ち砕いた馬、その名はライスシャワー。

 馬名の由来は、結婚式でのライスシャワーから。この馬に携わるすべての人に、幸せが訪れるようにとの願いが込められていた。

 幼いころは体が小さいかったが、バランスのいい体つきに購入の話しは多かった。
 実際、トレーニングで騎乗した人物からは、雲に乗っている感じというくらい、柔らかい乗り心地だったらしい。これは、筋肉の質が柔らかく、柔軟性がある馬によく出る特徴である。

 評価を受ける一方で、関係者の中には『体は小さいがバランスがいい。順調にいけば、中堅クラスの競走馬になる』と言っていたそうな。その言葉は、後にいい意味で裏切られたことになる。

 その後、デビュー戦で勝利を飾るも、その次で惨敗。三戦目勝利を飾るものの軽度の骨折を発症し、そのまま療養に入りデビューイヤーを終える。
 クラッシックの年で復帰するも、世代最強との呼び声の高かったミホノブルボンの陰に、完全に埋もれているような存在。ある程度注目があっても、先頭になることがない馬で、言ってしまえば並みの馬だった。
 そんなライスシャワーが能力の片りんを見せたのは、日本ダービーの最後の直線。先頭を行くミホノブルボンを追走するも、その後方から来た馬にかわされてしまう。だが、さらにその馬を抜き返し、二着に入る。
 これで、陣営は何かを掴んだそうだ。

 秋になり、三冠ムードが高まる中、ライスシャワーの一つ目の舞台が幕を開けた。
 三冠馬としては五頭目、無敗としては二頭目となるミホノブルボン。声援を一身に集めるその陰で、ライスシャワーがその時を窺がう。
 ドラマは最後の直線、一度は先頭になったミホノブルボンを、直線半ばで鮮やかに抜き去り、先頭でゴール版を駆け抜けた。初の重賞制覇がG1であり、クラッシクレースという偉業を達成したが、阻止した偉業の大きさが彼を『ヒール』という存在として広めるきっかけとなってしまった。

 その後、古馬となり、迎えた天皇賞(春)。
 これが、彼の主役となる第二の舞台だった。
 この時、注目を集めていたのはアイドルホース、メジロマックイーン。親子三代天皇賞(春)制覇に続き、史上初の同馬による天皇賞三連覇がかかっていた。
 付け加えれば、メジロマックイーンの鞍上、武豊氏の五連覇もかかっているレースでもあった。
 ドラマはまたしても直線。菊花賞と同じく、最後の直線半ばでメジロマックイーンを抜き去り、そのまま2馬身半をつけてのレコード決着。
 この時の実況で『関東の刺客』と言われたことから、ライスシャワーには『刺客』という二つ名がつくことになる。
 アイドルホースの偉業の阻止、アイドル並みの人気を誇る若き天才騎手の偉業の阻止。この二つの要因が、ライスシャワーという馬の存在を悪役ヒールとして定着させてしまった。

 しかし、天皇賞の後、ライスシャワーは大きなスランプに陥る。この後のレースで、ことごとく勝てなかった。実に二年間のあいだ、暗く長いトンネルを彷徨うことになる。

 復活は二年後の天皇賞春、絶対王者のナリタブライアンが故障のため回避したことにより、主役不在のレースとなった。
 復活のレースは、ロングスパートでの奇襲戦法によるハナ差と言う結果だったが、彼らの前には明るい未来が広がったと思われた。

 だが、運命はとても残酷だった。
 種牡馬の話しが浮上したが、スピード競馬へと変貌していく近代日本競馬において、長距離を主戦場とする彼の評価は低く、種牡馬入りするのも難しい状況だった。
 二度目の天皇賞を制した後、種牡馬入りが再検討された。
 レース後に疲れを見せていたため、宝塚記念を回避する予定だった陣営だが、種牡馬入りのためには中距離の実績であった。
 それに加えファン投票一位、阪神淡路大震災の影響で阪神競馬場の開催ができなくなり、ライスシャワーが得意とする京都競馬場での開催となったこと、斤量が56kgということ、なにより、種牡馬入りを支援するJRAの担当者が来ると言うことが、陣営に出走決断させた。

 そして、それは起こった。

 レース終盤、三コーナーで自らスピードを上げたライスシャワーは、前のめりに転倒、その後起き上がるも再び転倒する。左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折を発症し、その場から動かすこともできなかったため、コース上で幕を張っての安楽死となった。

 近代競馬では珍しい、長距離レースを得意とした馬。その姿から、最後のステイヤーとも称された。また、JRAのヒーロー列伝ポスターでは『淀を愛した、孤高のステイヤーというキャッチコピー』がつけられた。

 刺客やヒールなど、悪役と言うイメージがついて回る馬だが、そこにはすべてをのり超える類まれなる能力があったと言うことを忘れてはいけない。
 単純な速さやスタミナと言った自力だけではなく、運を引き寄せる能力。そして、それを活かしきるために、陣営が練り上げた数々の作戦、そして、想定外の事を一瞬の判断で最良の一手に変えた騎手、このすべてがあったからこそなし得たこと。

『競馬はドラマであるが、それ以上に深いものがある……』
 これは、主戦騎手だった的場均元騎手が自身の著書で書いた言葉。

 いまなら、この言葉の意味をなんとなく理解できる気がする。それほどまでに、競馬と言うものは奥深いものだと言うことを……。

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